*

【おすすめ書籍】合理主義に疲れたら、内田百閒と阿房列車の旅に出よう!

      2017/04/12

合理化という言葉がある。

会社で仕事をしている人なんかはよく言ったり、聞かされたりすることもあるだろう。

 

上司に「もっと業務を合理化しなさい」だとか言われたりする。

「合理」とは読んで字のごとく、理にかなったこと、理屈、理性に沿ったことである。

言っている人の意図を平たく言うと「無駄を省いて目的に到達せよ」ということだ。

 

なぜ無駄を省かないといけないのか?

 

無駄なお金や時間を使っていたのでは、競合他社、ライバルに勝てない

 

業種によって程度の差はあるだろうが、さもありなんである。

理屈に合わない、反することをやってる余裕はないという考え方だ。

 

しかし仕事以外のシーンとなると、とたんに合理化という言葉は聞かれなくなる。

奥さんに無駄遣いするなとか、節約せよとは言われても、生活や趣味の世界で合理化しなさいとは言われない。

 

だが、言われなくても自分で考えることはないだろうか?

 

例えば、どうせおんなじ時間を使って本を読むなら、何か今後役に立ちそうなモノを読もう、とか。

映画を2時間観るなら、評判が良くて話題の作品を観よう、とか。

旅行に行くなら限られた時間で、できるだけいろんな場所を観光しよう、とか。

 

ぼくはこういう思考が、自分の中にチラつき出すと、人生に合理主義が入り込んでいるな、あぶないと言い聞かせるようにしている。

合理とは理屈、理論に合ったこと、そして理論とは誰もが物事を理解し、納得するためにある。

 

つまり、合理主義が生活に入り出すということは、極端に言うとみなが納得できるモノに自分を合わせ、みな同じところを目指すということ。

無駄のない人生とは遊びや余裕のない人生だ。

 

こういう時は、おもいっきり無駄なことをするに限る。

芸術、アートなどというものはヒトが生み出した無駄の極致であるので、小説を読んだりロックのレコードを聴くなどという行為は合理性とは正反対の行為だ。

 

そこには微塵も「目的」などというものがあってはならない。

目的があると、その目的を効率よく達成しようとして合理主義が働くからである。

 

だから「話題作りのために」流行作品を鑑賞することはすでに合理主義に冒されている。

逆に「カッコつけたいために」高尚と思われる作品を鑑賞することも同じである。

 

その非合理の教科書、無駄の極致とも言えるのが、内田百閒の阿房列車(あほうれっしゃ)シリーズだ。

 

 

内田百閒は23歳で夏目漱石に弟子入りし、後輩の芥川龍之介とは仲が良かったらしい。

芥川が描いた百閒のイラストも残っている。

 

なにこれ?(笑)

 

阿房列車とはなんの目的も用事もないのに電車に乗って出かけ、ただ帰ってくるというユルい列車の旅である。

しかも事前に切符を買ったりせず、もし当日買えなかったらその日の実行は諦めるという徹底ぶりで、非合理なことおびただしい。

 

特に起承転結のストーリがない、小説の神髄のような小説なので、はっきりと筋書のある小説しか読んだことがない人にはちょっと読みにくいかもしれない。

 

もし合理主義に冒されそうになったら、百閒先生と一緒に阿房列車の旅に出てはいかがだろうか?

 

 - コラム, 書籍 ,