みんな元気か、トミー(@TomoyaTommy1203)だ。
「名詞」は比較的簡単そうな品詞のイメージだけど、適当に流していたのでは絶対にそのココロがつかめない、英語の名詞の表現力
その表現力の源は日本語にはない冠詞の有無、可算・不可算の概念、単数か複数か・・・
これらの組み合わせによって、同じ名詞を変幻自在に変化させるのだ。
今日はビートルズの中でも最も美しい詞を持つといっても過言ではない、ジョン・レノン作の “Across the Universe” の名詞の使い方だけに注目してみよう。
複数!無冠詞!不定冠詞!
英語だろうが日本語だろうが、名詞というのはモノの名前を表すもので、「犬」といえばあの動物のことだし、「雨」といえば空から降ってくるあの液体のことだよね。
それは英語も日本語も一緒なんだけど、日本語にはない英語の思考回路というか世界観によって、話はそう単純ではなくなってしまうのだ。
では早速 Across the Universe の歌詞を順に見ていこう。
Words are flowing out like endless rain into a paper cup.
赤線を引いたところが名詞だね。
まず、冒頭の “Words”は「言葉」で複数形になっている、ということは1つ2つと数えられる単位性を持った加算名詞で、1語ではなくいくつかの言葉ということだね。
そして the はない、無冠詞だ。
ということは何か特定の語や誰かが話した言葉を指しているのではなく、何でもいいから「言葉」だ。
ということで “Words”は「何でもいいから目に見えて数えられる複数の言葉」という意味的カテゴリーに入れられているのだ。
次の “rain”は「雨」で a も the もないし、複数でもない。
rain は基本的に数えられない不可算名詞なので、雨を粒として認識したいときは a drop of rain などと drop で単位を指定する必要がある。
この “rain”は一般的な「雨」を指しているに過ぎない、基本的に the もつけない・・・あれ?
ビートルズにはその名も Rainという曲があるじゃないか、そして冒頭の一節は
If the rain comes…
rain の前に the がある・・・
なんとこの「雨」は、定冠詞 the の意味的カテゴリーに入れられているのだ。
ということは、ある特定の雨、ジョン・レノンが窓から見つめる、今まさに彼の目の前で降っているその雨を見ながら詞を書いている情景が目に浮かぶのだ。
このように the の意味的カテゴリーに入れるのか、無冠詞の意味的カテゴリーに入れるかで、イメージや意味あいを変化させることができるのが面白いね。
話をアクロス・ザ・ユニバースに戻そう。
この詞の rain はあくまで一般的な雨というものを指しているんだね。
次の “a paper cup”は不定冠詞 aの意味的カテゴリー
「(この世の紙コップの中のどれでもいいんだけど)1つの紙コップ」だね。
ということで、この冒頭の一節のイメージは
何やら言葉がいっぱい、降り続く雨のように1つの紙コップの中に降り注いでいく・・・
まさにこの曲の歌詞、言葉のイメージが次々と降り注いでいる情景にぴったりだ。
冒頭の一節でこの曲の詞に対するジョン・レノンの並々ならぬ意欲を感じるね。
the といえばアレ
次に出てくる名詞はタイトルだ。
They slip away across the universe.
“the”の意味的カテゴリーは「1つに決まる」「言わなくてもわかるよね、アレだよ」「アレしかない」「この世に1つしかないよ」「さっき話してたアレ」
のようにまさに存在が“定”まるから定冠詞なんだね。定まらない a は不定冠詞だ。
ザ・めし屋
の「ザ」やバンド名に「ザ」が付くことが多いのは、唯一無二感、ザ・ベスト・オブ感を出したいからだ。
他でもない、ザ・ビートルズなんだね。
universeは「宇宙」で無限に広がる空間や無限にある星すべてをひっくるめた唯一絶対の「宇宙」だから、太陽や月のように基本的に theのカテゴリーに入れざるを得ない言葉の1つだ。
僕らの頭の上に広がる宇宙空間以外に、宇宙って他にないからね。
冒頭に出てきた “Words”が宇宙空間を滑るように、無限の空間の彼方に消えていく・・・
最初の数行だけでも身震いがしそうなほど美しい詞の世界である。
my は the と同じカテゴリー
Pools of sorrow, waves of joy are drifting through my opened mind.
“Pools”は Words と同じように冠詞なしの複数形だ。
「水たまり」が複数あって、その後の “sorrow”「悲しみ」も名詞で無冠詞のカテゴリーだね。
いわゆる一般的な「悲しみ」という概念を表しているから、数えられるものじゃない。
「悲しみの水たまり」
waves of joyもまったく同じ要領で「喜びの波」だね。
水たまり同様、波も複数形で可算になっているから、打っては返すあの波を1つの単位として、いくつかの波がイメージされる。
“my opened mind”の mind は名詞だけど、一見冠詞もなく、複数でもない・・・ではなく、myが定冠詞と同じ役割を果たしている。
my…ということは1つに決まる。
「僕の開かれた心」だね。
だから、my のような所有格の代名詞と冠詞が同時に使われることは絶対にない。
my an apple(意味的カテゴリーが矛盾) とか the my mother(意味的カテゴリーが重複)なんて英語は聞いたことも見たこともないはずだ。
そしてサビのリフレイン
Nothing’s gonna change my world.
“my world” の myも同様に定冠詞的カテゴリーに world を入れている。
唯一絶対の「僕の世界」は何物も変えることはできないのだ。
アクロス・ザ・ユニバースの続きの詞はまた次回
ということで今日はこのへんで・・・